18年目を迎えて

1211日は私も含め五十子家として、

とても大切な日であり、また本日1212日は私にとっての18年目のスタートでもあります。

また強烈に、後悔先に立たず、という意味を感じ、未だにその気持ちを胸に抱きながら生きることになった日でもあります。

私が30歳の時、父は76歳で1211日に他界しました。一人しかいない自分の父親を亡くす喪失感は大きく、また尊敬する外科医としての父を失い、医師としての拠り所を時に失いかけた日でもあります。何事にも動じず、淡々と自らがやることをやる信念の強い、まさに人事を尽くして天命を待つを体現し続けてきた父親は、子供である私に多大なる教育をしてくれました。

亡くなる1週間前に京都にいる私の研究室を母と共に訪ねてくれましたが、足も浮腫み身体を疲れているだろうに、弱音は当たり前のように一切吐かず、一緒に京都の紅葉を愉しんでくれた清々しい笑顔を忘れることはありません。

京都から世田谷に戻り、その翌日の午前の診療後に意識朦朧となり、昏睡状態となったため、すぐに私の母校である慈恵医大第三病院に緊急入院させて頂き、その1週間後である1211日に息を引き取りました。

京都に旅立つその当日まで、鉄アレイのダンベルを握りアームカールをし、毎日、医事新報を開いて勉強する父のことを今でも心から尊敬しています。もう余命幾許もないと分かっていながらも毎日筋トレをし、勉学に励む父は言葉ではなく、私に大切なことは直向きにやりなさい、と教えてくれていたのだろうと感じます。

またその当時は電子カルテではなく、紙カルテだった訳ですが、直前までやった胃や大腸の透視検査の読影結果を丁寧にカルテに書いてくれていたものを見た時の感動は忘れたことがありません。消化器が専門ではない私が困らないように、そして、仕事とは責任を持って最後までやり尽くすものなんだよ、と教えてくれた父からの最後の教えでもあったのでしょうね。。。

後悔先に立たず、という意味を未だに胸に抱かせているのは、以前にも書いたことですが、父が息を引き取った際の清拭です。看護師さんから最後に背中を拭かれますか?と家族全員に聞いてくれていましたが、何故か私だけはその時、大丈夫です、と断ってしまったのです。こんなに大切に30年間育ててくれている父のことを好きで、心から尊敬していたのに、素直に背中をお疲れ様でした、ありがとうございました、と思っていたのに。。。

背中を拭くことを拒んでしまったのです。もうあの瞬間は戻って来ないので、まさに後悔先に立たず、なのです。

人生、後になって後悔することばかりかもしれませんが、このことばかりは、あの時に戻れたら、と何度も自分の心を揺さぶります。

20211211日は兄、シルビア、ジルベルト、絢三はイタリアで、一緒にご飯を食べることが出来ませんでしたが、父が最後に口にしたイタリアンをイタリアにいる4人以外の家族みんなで楽しく笑顔で食べることが出来ました。

とても美味しいイタリアンでした。

須山さん、教えてくださり、ありがとうございました。

両手の腱鞘炎の手術を1210日に後輩の久富先生にやって頂き、今日はトレーニングも一日お休みだったので、自宅で須山さん直伝のケーキを作ることにしました。苺をもっと丁寧に切ったらもっと綺麗に見えたなあ。。。

長文になり失礼しました。

皆様にとって素敵な1日になりますように。

院長 五十子 大雅

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